1泊2日の横浜旅行、第2弾。この記事では、こんな事が分かります。
①神奈川県立歴史博物館について
②神奈川県の歴史について
今回の旅は全部で3部構成!この記事は第2回目です。
①「伊勢佐木モールとホテルアイマーレ伊勢佐木町(スタバ回)」
②「神奈川県立歴史博物館が予想以上の見ごたえ」←今回ここ!
③「みなとみらい探索と崎陽軒のシュウマイ」
横浜2日目の朝。今日の目的は赤レンガ倉庫の天使の羽でインスタ映えを狙っちゃうこと。
ホテルから赤レンガ倉庫があるみなとみらいまでは、徒歩でも行ける範囲なので、コンビニのおにぎりを頬張りながらテクテク向かうことにしました。
外観が素晴らしい神奈川県立歴史博物館
みなとみらいに向かっている道中、何やら印象的な建物が。
すぐにググってみると、博物館であることが判明。
時間も余裕あるし、ちょいと立ち寄ってみようかな。
元銀行だった建物は国の史跡
どうですこれ!このヨーロッパ的な建物!
こういった非日常な建物を見るとワクワクしちゃうのってボクだけ?
早速入ろうとして近づいてみると・・・
「ここは出口です。正面入口にお回りください」の表記が。
へぇ、こんな立派な出口なら、入口はどんだけなんだろ。ドキドキ!
入り口は正面玄関から
普通w
絶対さっきの出口側を入口にしたほうがよくない?よくなくなくない?
ここは神奈川県の歴史が詰まった博物館らしく、古代から現代まで網羅しているらしい。
入館料300円を払って、いざ見学開始!
神奈川の歴史が凝縮された展示物たち
順路に沿って進むと、古代から順に見学することができます。
まずは縄文時代に活躍した石器達が。
ここで通りすがりの村人Aが、多分こう言いました。
うん。なんか社会科で習ったような気がする。
縄文時代から現代まで
縄文時代の集落の様子も、分かりやすく展示。
意外と小規模だったんだなぁ。
旧石器時代から続いていた移住生活に終止符を打ったのも、縄文時代。
竪穴式住居で定住生活へと移行しました。
続いて弥生時代の集落をご覧下さい。
ちょっと規模が大きくなっただけやん!
だがしかし!弥生時代の集落は人数も増えたので、身分制度も始まったのだとか。
稲作の開始も影響してか、縄文時代より平野に作られてます。
そして、米を蓄えておく為の高床式倉庫も弥生時代でしたね。はい、ここテスト出ます。
ここで通りすがりの卑弥呼が、恐らくこう言いました。
この時の土木技術が、後の古墳に応用されたんだって!
そして鎌倉時代になると・・・
これまでの竪穴式住居から一変、庶民の家も板ぶき屋根の「民家」と呼べる代物に。
家屋の造りもちゃんとしたものになって、ほんと技術って日進月歩。
武士の住む屋敷でも変化が見られます。これまでは部屋の仕切りと言えば屏風が主。鎌倉時代になると襖という概念が生まれました。
つまり、これまでは大部屋をパーテーションで区切って、疑似的な小部屋を作っていた。それが鎌倉時代になると、襖で仕切られた独立した部屋となった。ってこと。
こういった学校で教えてくれない細かい歴史って、おもろいよね。
明治維新後、明治初期には、一気に西洋文化が取り入れられ、ハイカラな建物が増えます。
ちなみになんですが、昭和レトロ、大正ロマン、明治ハイカラってあるでしょ?令和の今、平成につける冠ってあるんですかね?
開国は嫌(18)でござ(53)るよペリーさん
横浜の歴史で忘れてはならないもの、それは「開国」。
黒船1853年を「開国は嫌でござるよペリーさん」なんて語呂合わせで覚えていた学生時代もあったっけ…(なんだか、これだけはっきり覚えているのが不思議w)
これは、ペリーが徳川のおっちゃんに献上した電信機らしい。
説明文には「現在のスマートフォン」と書かれていて、思わず
ぜんぜんスマートちゃうやんっ!
ってつっこみたくなっちゃいますねw
箱の中にアプリがたくさん入っているのかな?
神奈川県庁の敷地内の地中から発掘された、躯体レンガをまじまじと見つめていると…
レンガ…。
赤いレンガ…。
っ!
ここで、この記事を読んでいる読者は、きっとこう言いました。
あまりの楽しさに、すっかり長居をしてしまった神奈川県立歴史博物館ですが、そろそろ本来の目的地である赤レンガ倉庫に向けて出発~っ!
でも、それはまた別のお話し。
この日、巡った場所のデータ
神奈川県立歴史博物館
神奈川県立歴史博物館が予想以上の見ごたえまとめ
- 10:00ホテルチェックアウトコンビニでおにぎり2つ、250円也
- 10:25神奈川県立歴史博物館入館料300円也
家に帰るまでが旅行!次回も日曜日の19時をお楽しみに!
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